福島原発事故に触発されて

1 前にも書いたが,国語を失った国家は滅びる。国家の欺瞞性という政治的テーマからすれば,それ自体はむしろ好ましいのかも知れないが,ここでは言語と文化という文化人類学的な関心からのことである。例えば民族的特性による等質的集団としてのいわゆる民族国家の存亡という視点から,国語の喪失を不幸な現象として意識している。   電車の車掌によるカタカナ英語の放送に対し,個人的な羞恥心を感じたり,大半の […]

新年を迎えて

1 新年が始まり,新型コロナウイルスの御陰か,家でゆっくりしている。昨年来,今年も12月31日の終夜運転の電車に乗って近間の山に登り,初日の出を見て,日帰り温泉を楽しむつもりだったが,終夜運転が一斉中止になり,そのうえ寒波襲来ということで林道の凍結とノーマルタイヤの自車に対する我が運転技術の未熟に思い至って,今回はとりあえず二年参り山行をとりやめたからである。   それで久しぶりにこのブ […]

戦後責任ということについて

1 NHKラジオの早朝番組に「今日は何の日」とかいう短い帯番組があって過去のその該当日の出来事をいくつか教えてくれる。たまたま5時台とか6時台の,その時間頃に目が覚めた時など枕元のラジオのスイッチを入れて耳にする(もちろん二度寝するが)。たまたま今日が8月15日(土)なので(今日は低山歩きに出掛けるのも暑くて面倒だし),そのまま7時のニュース頃までラジオを聞いていたが(ウトウトしていたので確実とま […]

コロナの流行と政治及び個人について

1 コロナ騒ぎが持ち上がり出した頃,政府筋の発表を聞き,オリンピックに絡めながら考えていたが,結局オリンピック開催は「延期」となった。安部首相が「完全な開催」にこだわるというような表現を使ったとき,政府内部ではオリンピック開催を断念したから逆説的にそのような政治表現を使ったのだろうと受け取ったのだが,1週間と経たないうちに案の定の結果となった。   2 日本でコロナ報道が最初にもたらされ […]

新年雑感

1 年末に日産のゴーン被告人が,日本の司法制度を批判しつつ,レバノンに逃げ出した。その司法制度批判は理解するが,その批判が大金持ちの我身かわいさの故,というあたりが透けてみえると鼻白らむ。 確かに日本の刑事司法は,「保釈制度の日本的運用」をテコにして,推定無罪の原則を戯言化する程に「人質司法」と非難されてもやむをえない現状にある。刑事弁護の一線にある弁護人からすれば,この人質司法はどんなに批判して […]

オリンピック礼賛報道の危険性

1 東京オリンピックについて,重ねて述べておきたい。 令和も年末から年始に至って,テレビも新聞もいずこも東京オリンピックの報道だらけとなっている。NHKあたりがちょうちん報道や番組ばかりになるのは多少うなづけないではないが(もっとも,広くかつ強制的に視聴料を取り立てる制度的な仕組みからすれば到底許される話ではないが),マスコミ各社の紙面がオリンピック礼賛記事に溢れかえるのは,何とも情けない話である […]

韓国の動向と慎重な対応

1 仕事に時間の余裕が出来た時に慌てて書いたりするので、このブログは内容的に不充分なだけでなく、現象的にもたまに思い出したようにしか掲載できない。実のところ、この世の中には「腹ふくるる」事柄などは、毎日のように起きている。   2 最近では東京オリンピックのこともそのひとつだろうか。 現在のオリンピックは完全に商売と化していて不快極まりない。かくも商売主義に毒されたオリンピックなどに何故 […]

新元号雑感

1 平成から令和へと、この連休にかけてNHKを筆頭にマスコミによる政治キャンペーンがかまびすしい。   元号と天皇制は一体的に理解されており、そのこと自体は歴史的には当然である。もっとも、さすがに皇紀(今年は多分皇紀2679年)を一緒に話題にする議論は目にしないが、元号使用が不便だから西暦表記でいこうかというなら、皇紀という表記法もありうるといえばありうる。しかしそれでは天皇神話の非科学 […]

母国語を知るということ

1 日本軍が東アジアの国や地域(朝鮮、台湾、満州等)を侵略した時は、まず相手国の母国語を奪うことから始めた。このことは、日本に限らず、スペインでもイギリスでもフランスでも皆同様である。言語はその国や民族の文化の中核であり、本質のひとつだからである。被支配民族は言語を侵害され、やがてその言語が滅びるに従って、その文化も衰退、消耗し、文化としての死を迎え、同時に民族や国家として滅亡してゆく(もっとも、 […]

馬毛島の活用について

1 このところ沖縄の住民投票の結果とともに、辺野古の基地新設についての論議が続いている。国側の発言をきく限り、既成事実ありきで、沖縄県民のみならず日本全体の「民意」も歯牙にもかけていないような対応である。日本における「直接民主主義」という制度の精神・趣旨の定着とその実効化について、公私を問わず日本では随分未熟だなと思わざる得ない。未だ政治における個人の定立が曖昧だからなのだろう。個人があってはじめ […]

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