ロシアのウクライナ侵略と政治の原則
- 2022.06.07
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1 あまりテレビは見ない方(どちらかというとラジオ派)だが、この土曜にたまたまNHKのEテレをつけたところ、途中だったがアメリカと中国の高校生同士がいわゆる民主主義について討論していた。あまりに稚拙な論争に間もなくテレビを切ったが、参加者が悪いというより、アメリカ人(?)の司会者が全くナンセンスだった。要するに、その司会者は民主主義をその本質で議論させようとするのではなく、現象的、制度的にとり上げようとしていた。
民主主義の本質は、思想信条の自由と表現の自由である。もしディベートというものが、教育上有用だとすれば、その技術的な有効性などではなく、対象や主題の本質に切り込む方法論だと思っている。制度論をどうでもいいなどいうつもりはないが、まず対象の本質をいかに正確に、そして総合的に把握してゆくかについて、複眼的に切開していけるアプローチの為に、議論を掘り下げてゆければよい。その限度で制度論も必要だろうが、何よりもまず歴史的な視座が大切と思う。
2 誤解を恐れず結論的に総括するなら、かつての中国の歴史には民主主義は存在しない。基本的には儒教の影響が大きかったのだろう。しかし、一方で儒教による統治も一度として政治的に実現したことはなかった。そうした歴史的経緯からかは知らないが、戦国期を除けば中国人民は余程のことがない限り、お上に楯突くことはなかった(日本も同様だろうが)。そして、歴史は浅いがロシアもまた然りであろう。
ただ中国人の場合日本人と違って個人主義的思考方法はそれなりに根付いてきたと思う。この点では恐らくロシア人も日本人同様非個人主義的ではないかと思われる。もっともロシアの文学作品を読む限りでのロシアの国民性の傾向に対する感想でしかない。
3 そこで話は飛ぶが、今回のプーチンによるウクライナ侵略である。プーチンは万死に値する。プーチンは自国の兵員を含め万単位の人間を故意に殺傷した。この21世紀にである。プーチンによるいかなる弁明も、その主張にいかなる正当性も付与しない。
しかし、何故ロシア国民の多くは今のところプーチンに対しあまり反対・抵抗しようとしないのか。却ってウクライナ侵略を支持するロシア国民の割合は相当数に上るという。ロシア国民に対する情報の遮断、捏造のみならず、かりに世論評価の統計方法の(に対する)不正操作を差引いても、なお同様の疑問(不満)は残る。やはり少なくないロシア国民がプーチンを支持しているのではないか。
衰退しつつあるロシアの現状と過去の栄光との狭間にゆれ動く民族主義のバイアスが原因なのか。ロシア人の欲深さ、それとも教育の未熟さ、はたまた国家権力の野蛮な程の暴力性に対する恐怖なのか。そもそもプーチンはスターリン同様、暗殺を政治的手段とすることに、何ら躊躇しない。もともとプーチンは秘密警察の出身である(ロシアでは歴史的に白色テロも赤色テロも国民性に深く染みついている)。
そのいずれも、ロシア人の傾向の一端を言いえているのであろう。
しかし、最も大きな理由は、中国同様、権力に対するロシア人の従順性にあるのではないのか。(歴史の浅い)ロシアの場合、中国のような度々の権力交替を殆ど経験してこなかっただけに始末が悪い。
また何であれ、ロシア人は異議申立が下手なのではないか。
その上、ロシアには中国のような「革命」思想の積み重ねがない。ロシア革命自体も思想的積み上げというより、ロマノフ王朝による圧政と人民の困窮による反発が戦争時の特殊な背景から噴出したといっていい(オデッサでの戦艦ポチョムキンでの水兵の反乱も、元をただせば、至って物質的な背景であった)。
4 ロシアに対する各国の経済制裁についての足並の乱れも面妖である。それが政治だとの一言では済ませられない。
①中国がロシア支持なのは、当然である。中国に民主主義はない。
②インドとトルコが、実質ロシア支持なのは、悪い意味でインド政府とトルコ政府を見直した。インドやトルコの人民は断乎として現政権に抗議するしかない、もしインドやトルコも民主主義国家だと公言する気があるなら。両国は鵺である。
③フランス・ドイツに至っては、見ようによっては(ある意味)インド以下であろう。両国は今次大戦以降西欧民主主義のリーダーを自負していなかったか。正に、本質と手段をはき違えている。これでは筋が通らない。それでもかろうじて、両国は正気を保っているようではあるが。
④イギリスはその動機にかかわらず、最も原則的である。世界の尊厳を集めて然るべきである。その対応は、イギリス国民の総意を反映したというべきだからである。
⑤アメリカは一定の原則性を維持しており、一定の評価に値する。
⑥日本も評価したい。殊に、中国(と北朝鮮)及びロシアを隣国に控えている以上、民主主義国家としての節目を通すしかない。中国とロシアは、同質の専制国家である。私達はロシアのウクライナ侵略を毛程も容認してはならない。恐らく今後の東南アジア外交において、日本の果すべき方向性は明確となる。アジア各国の日本人の信頼もそれなりに増してゆくのではないか。
5 政治とは、自由(なかんづく思想と表現の自由)を守る為の方策、手段である。その結果として経済も回る。従って経済もまた自由を支えている。我々は原則(目的)と手段とを混同したり、曖昧にしたりしてはならない。殊に政治の世界では心しなければならない。原則を曖昧にする方が、何かと便利である。人は放っておけば誰しも安易に流れる。その方が便利だからである。そして当然のことながら、政治の世界では、政治が手段の体系である以上、便利な方が使い易い。その結果堕落する。
次に、政治の重要な基本は何か。それは戦争に(を)してはならないということである。好むと好まざるとにかかわらず、仕掛けられた戦争はある。その場合でも、原則を維持しつつ、いかに早く戦争を終結させるかが、政治の任務である。殺人が人間社会の禁忌(犯罪)であるなら、戦争は人間社会全体の最大の禁忌である。国民は国家の甘言に乗ってはならない。
6 我々はロシアの国家犯罪を止める為、ロシアの経済を麻痺させ、破壊するしかない。その為の経済制裁にいささかの緩みがあってはならない。その結果として自国経済への返り血は覚悟するしかない。一体人の命と金と、どちらが大切か、という原則的設問に対する解答なのである。
遠く日本の地から、ウクライナへの些少のカンパをまた始めるか。
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