地球温暖化のサイクル

1 このところ空いた日曜を利用して近くにある低い山を1人で徘徊しているのだが(自分では惚け防止のつもりを兼ねて)、近年になく季節が変になっている。山梨にある山であるが、12月初めなのに、山腹から山頂にかけて、紅葉したもみじと見間違えた程に赤い山つつじが何本も咲いていた。別のルートで下山してみると、今度はやや小振りながらもひまわりの花が咲いていたのだ。付近には2〜3本位あったと思うが、そのうちのもう1本の丈の低いひまわりは沢山つぼみをつけていた。さくらなどの狂い咲きはよく見かけるが、咲き方はあくまでチラホラと慎ましやかなのが季節はずれの狂い咲きの特徴なので、山つつじなどの大量のこの咲き方と光景には一種異様な気分になった。

ラジオをつけ放しでよく聞くともなしに聞いているが、つい先日(12月初め)千葉県の誰かの投稿に、季節外のたんぽぽの花が咲いていて驚いたといった投稿が放送されていた。その時はああそうか程度に聞き流したが、自分で大量の「狂い咲き」を目の当りにすると、実感として危機感を覚える。

 

2 一説によると日本の戦国時代は小氷期に該り、食糧不足に起因する土地の奪い合いが多発して歴史上戦国期の様相を噴出させたとか。真偽の程はともかく(小氷期とはいえ、100年や200年の超々短期間の気候変動など、地球環境の中でどう位置づけるのか、全く想像がつかない)、人間の歴史や事件・事象の流れの中で、気候変動との関連性は確かに無視できない。

逆にいえば、短い人間の歴史の中で、長い地球の気候に人間の与えた影響も無視できない。しかもその影響が目立つようになるのは、18世紀末頃からの産業革命以降のせいぜいここ200年前後のことである。殊に、地球環境に対する影響が著しくなるのはこの半世紀足らずである。地球と人間という時間の尺度の違いからいえば、全く比較にならない程の異常である。

 

3 その原因は、何度でもくり返すが、人類の異常な増殖と現代人の飽くことを知らない便利思考、もう少しくだけて言えば骨惜しみの嗜好である。遅蒔きながら、まさに少子化へ向けての政策を具体化して実行すべきであり、何より「不便な生活」を実践していくべき時なのである。経済成長がマイナスとなって何が悪いのか、自動化された運搬具が減ったからといってどうなのだというのか、自動車や飛行機の数量が少なくなるだけではなく、エスカレーターなども原則不要だし、エレベーターは身障者や病人、老人らが使えばよいだけである。

核軍縮ならぬ人口減縮の国際条約の締結交渉こそ、21世紀の重要な課題であろう。ただ、方法としては充分、慎重に検討すべきだし、性急な手段を現実化することはできない。

 

4 そういえば、オリンピックとやらの不毛かつ悪しきイデオロギーの産物でしかない催事に向けて、最近どの駅でも改装工事が花ざかりであるが、東京駅のエスカレーター改修工事で気付いたことがある。あれは1本当り横に並んで2人乗れるエスカレーターを1人乗りを2本に改修するための工事のようだ。それなら階段を増やせばよい。全くもってナンセンスである。

ついでに、最近よくわからないのが、キャリーバックとかローリングバックと呼ばれる運搬具である。何をあの中に詰め込んでいるのだろう。以前、ローリングバックならぬゴミ箱の紙くずをまさに大きな竹籠に入れロープで駅のホームを引き歩いていた掃除係の人のそのロープに足を引っかけて怪我をした人からの調停案件を担当したことがあるが、多分ローリングバックの柄を長々と伸ばして引いて歩いている人達の間でも、同様の事故やトラブルが発生しているのではないか。小型のキャリーバックはもとより不必要だが、大型のものでも柄は不要であろう(押すか身体の横で転がせばよい)。

 

5 実は、この文章のうち、1項と2項は昨年中に書いていたのだが、年明けてから仕事が忙しくて(本当は怠け癖が出たのだが)、やっと今頃、3、4項を書き加えた。

ところで昨年の最後のブログに関連し、自分の不勉強から昨年は気付かずに読んでいなかった新書版について紹介させていただく。是非読んでほしい。どうしても読んでほしい。毎日新聞記者である日野行介著、集英社新書「除染と国家—21世紀最悪の公共事業」である。しかし何故政府はここまでして住民への犠牲を強いるのか。一般的な「民主主義」という制度上の問題に止まらない。一私企業(もちろん東電に融資する金融機関や多数の取引先企業が周辺にうごめいているにしても)の「違法」な擁護でしかない。会社としての責任をとらせたうえ一旦整理して、後は「共犯者」としての国が全ての被害を賠償するだけのことである。政府や御用学者は、自らの責任回避と既得権益の擁護に汲々としている。

先日、雪で滝のお水取りが中止となったので、1人で滝に出かけ、谷川に下りて水を汲んでそのまま高尾山に登ったところ、南面する山道の斜面の際のはだれ雪の間にもうスミレが一輪咲いていた(これは狂い咲きでもなければ気候異常とも関係ない)。いかにも、早春の先駆けである。人間が自然の一員としてその中で生きていけるなら、それが一番いい。