新年を迎えて

1 新年が始まり,新型コロナウイルスの御陰か,家でゆっくりしている。昨年来,今年も12月31日の終夜運転の電車に乗って近間の山に登り,初日の出を見て,日帰り温泉を楽しむつもりだったが,終夜運転が一斉中止になり,そのうえ寒波襲来ということで林道の凍結とノーマルタイヤの自車に対する我が運転技術の未熟に思い至って,今回はとりあえず二年参り山行をとりやめたからである。

 

それで久しぶりにこのブログを記してみる。

 

 

2 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言以来,一時期銀座界隈もすっかり人通りが少なくなり,店舗(特に飲食店)の休廃業が目立つようになったが,その後,緊急事態宣言解除となった。しかし間もなく第2次,第3次の感染者増のピークを迎え,新型コロナウイルス時代が,政治・経済及び社会の主要なテーマとなっている。その中で,感染症対策という本来自然科学的な問題に対し,「アクセルとブレーキ」などという,いささか夾雑物を交えた議論が横行している。なるほど,ワクチン接種の実施(二重三重の意味で接種はまず壮青年層を優先し,老人は後回しでよい)とやがては特効薬の開発が実現されるとの見込みのなかで,アクセルとブレーキ操作を上手にこなして感染を抑えつつ一定の経済活動を維持するという,一般論としてはもっともらしく聞こえるが,その具体的施策の中身を見れば,主として特定層への政治的配慮に目を向けた政策の実態が透けて見える。感染を止めたければ,それに向けた真っ直ぐな政策をとるだけであって,科学的な調査,分析と判断を基本に据えるしかないのである。もっとも,現政権の,例えば学術会議への理不尽な(法的には憲法に反する)介入などからすれば,政治(ないし時の政権)に従属する学問(人文科学,自然科学)という歴史に逆行するその姿勢からして,科学の尊重をこの政権に期待するのは,そもそも無理ということであろうか。

 

 

3 ただ,私自身は新型コロナウイルスに対し何故こんなに大騒ぎをするのか,よく分からないところもある。

 

最終的には,人間世界と地球環境に対する覚悟の程でしかない。現象的にみれば明らかなように,ここ数十年の間に新たな感染症(伝染病)の発現は頻発している。その中でも新型コロナウイルスの弱毒性による宿主との共生という,その巧妙性は際立っている(ウイルスに戦略的意思があるとは思わないが,そうした巧妙性の結果としての危険性は大きい)。その点は後日また触れたいが,ことは感染症の多発という原因について明確にしておかなければなるまい。

 

結論としては,私的な推定であるが,その原因は地球環境の激変なのであろう。産業革命後,地球の平均気温は少なくとも1℃は上昇しているし,このままでいけば近い将来更に2℃から3℃の上昇は加速度的に高まろう。気温という環境の変化は,生物に対してもウイルスに対しても,その構造的な変化や変異を促さずにおかないはずである。感染症の発症要因と人間の交通規模の増大とが,二つながら絡み合って地球温暖化に起因し,またこれを後押しして,感染症の頻発を招来していると思われるのである。

 

要は感染症に対する抜本的対策は地球環境の改善が必須だということである。新型コロナウイルスの流行は自然界からの人間社会に対する警告なのである。

 

 

4 増え過ぎたネズミが集団自殺としか説明できないような海中への一斉行進という行動が報告されているが,人類についても同様の破滅的現象を想定する必要があるのだろうか。そうだとしても,それが自然の摂理と覚悟しなければならないのだろうか。

 

宗教家ではない私には,眼前の不合理を良しとする気持ちにはなれない。

 

さてそこで問題となるのが中国である。別に新型コロナウイルスは中国が世界政治戦略の一環としてこれを作ったとは言わないが,結果としてこれを世界中にバラ蒔いたのが中国なのは間違いない。どうも中国では一昨年10月頃には武漢を中心に新型コロナウイルスの感染者が発生していたようであり,中国政府は一昨年11月から遅くとも12月には従前のコロナウイルスとは異なる新しい型のウイルスによるものであることを認識しながら厳重な情報統制を行い(単なる情報の削除に止まらず,違反者を刑事処罰までして情報を圧殺し),その感染事実を隠蔽し,のみならず昨年1月下旬には,新型コロナウイルスは人から人へは感染しないなどとの虚偽情報を流してまで,その間自国の感染症対策とその制圧に腐心し,1〜2か月近くの間,世界各国の新型コロナウイルス対応を殆ど無策に放置させた。この空白期間がなければ,日本をはじめヨーロッパ諸国(アメリカは別か)も中国並みにある程度までは新型コロナウイルスのパンデミックを押さえ込めたのではないかと思われる。中国政府のやり方は犯罪的ですらある。

 

 

5 実は中国政府のやり方は一事が万事,秘密主義と非人間性と反民主性に貫かれている。少なくとも戦後の共産党政府の対応はそうである。このことは新型コロナウイルス問題に止まらず,対香港にせよ,対チベットにせよ,ウイグル地区問題にせよ,その政策の本質は変わらない。中国政府のいう「人民のため」などとは,真逆の実態を覆い隠す政治スローガンでしかない。それは中国の政治体制の体質が一党独裁(習近平体制はその維持と指導者の神格化)を至上命題とする反民主主義国家だからである。従って中国では政治は無論,経済にせよ,軍事にせよ,その体質に則って運営されていることは自明である。

 

トランプ政権の自国第一主義もナンセンスであるが,アメリカには一定の民主主義が根付き,一定の自由が許容されている。その限度ではトランプのいう中国囲い込みも頷ける。アメリカの経済的及び軍事的優位性確保の為の中国囲い込みではない。長い目で見れば,人口3億のアメリカが13億人の中国を,アメリカ一国の為に囲い込むなど,土台無理な話である。

 

自由と民主主義という歴史的価値をもって,中国の一党独裁に反対して,日本やヨーロッパのみならず,周辺アジア諸国,時には中東諸国をも巻き込んで,世界が中国の人民による内部変革を促すしかないのである。アメリカはここをはき違えてはならない。

 

そしてまた,北朝鮮もプーチンロシアもその本質と戦略は同断なのである。それらの特殊な(?)国々に対する戦略の第一歩は,国連の抜本的改革(まず常任理事国という戦時中の〔遺物〕ないし〔異物〕の廃止)ないし現在の国連の解体と再編(中国,北朝鮮,ロシアの忌避)が最も効果的と思う。そして何より,何度妨害されても中国人民に向けて世界中から自由と民主主義の原理を発信し続けることである。

 

ことは新型コロナウイルス問題などではない。

 

 

6 医療体制の崩壊について,日本の場合は政府の主導する医療制度の問題のように思う。政府予算の問題はあろうが,まず医療従事関係者の人的制限が問題なのである。医師にしても看護師にしても絶対数が少ない。平時を前提に医療関係者の総数を制約している。就中,研究者の層も人数も少なすぎる。そして何より,医師はともかく,医療関係者の報酬が低い。政権の責任である。

 

ところで,健康保険との関係で若干付言する。健康保険を含む社会保険制度全般の解決はできるだけ皆健康になることである。それには多分原則エスカレーターを少なくし,病人や身体障害者,老人などの為,緩行性のエレベーター中心に建物を設備していけばよい。高層階を除き,健常者はできるだけ階段を利用するようにするのである。

 

私としてはできるだけ階段を利用している。それ以外の健康法として 山歩きの他,滝行を心がけ,合わせて気功を受けている。後はできるだけ好き嫌いなく何でも適当(量)に食べている。

 

生命個体としては死ぬのが嫌なら体力をつけるだけである。それが生物の歴史であった。

 

 

7 一時期,人通りのめっきり減った街中を歩いていると,ふと,大地震か核災害によるのか知らないが,すっかり人口の減ったTOKYOの地を歩いているかの幻覚を覚えた。自分がその災害から生き残れる自身がある訳でもないから,幻視でしかない風景なのだろうが,人口減少を下敷きにした未来社会を是とする持論からすれば,大いに想像力をかきたてられる風景ではある。さまざまの幻想が頭の中を通り過ぎてゆく。それだけ年をとったということなのかもしれない。