新年雑感

1 年末に日産のゴーン被告人が,日本の司法制度を批判しつつ,レバノンに逃げ出した。その司法制度批判は理解するが,その批判が大金持ちの我身かわいさの故,というあたりが透けてみえると鼻白らむ。

確かに日本の刑事司法は,「保釈制度の日本的運用」をテコにして,推定無罪の原則を戯言化する程に「人質司法」と非難されてもやむをえない現状にある。刑事弁護の一線にある弁護人からすれば,この人質司法はどんなに批判しても批判しきれないであろう。

2 ただ,ゴーン被告人の弁解のうち若干理解しにくかったのが,保釈条件として妻との同居を禁止されたから日本の裁判所での裁判を忌避して日本脱出をした,とのくだりである。注目点は2つある。ひとつは,年老いた(?)夫婦の心情のあり方ないし質の問題としてであり,ひいては,それがフランス人と日本人という民族的,文化的,歴史的にどのような背景を有するのか,という個人的興味である。この点は興味関心の割には,殆どまとまった知識も考えも有しない。多分何よりも意識下の嗜好の問題のような気もする。

 

3 さて,もうひとつは,法律家としてこれは触れておかなければならない。ゴーン被告人の関係資料を含む保釈条件の詳細は知らないが,裁判所がゴーン被告人に対し,保釈の条件として妻との接触を禁じたことについては,慎重な検討を要する。

それが正当化しうるとすれば,公訴事実についてゴーン夫妻の共犯関係が被疑事実として捜査中とか,ゴーン被告人の妻が罪証隠滅行為を行ったか,行なおうとした具体的事実を検察側が一定程度以上に証明したときくらいであろう。単なる罪証隠滅のおそれの疎明程度では足りないとすべきなのである。ことは被告人個人の拘束の可否にとどまらず,その妻の基本的人権に対する重大な不利益を伴うからである。

保釈制度の運用については,「罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由」が検察官や裁判官によって安易に容認されている,というのが弁護人サイドの実感である。本来は「罪証隠滅のおそれ」の要件全般について,厳しく一定程度以上の証明を要求すべきではあるが,まずは個々のケース毎にその要件を絞って運用すべきなのである。

いささか情報不足で,抽象的な空理空論に終始しそうなので,この辺で止めておくが,新年の雑感などというのは,この程度のいい加減なものでも良しとしたい。

この正月は年末から年始と及び5日の日曜に山の中をほっつき歩いていたので,その辺の面倒な頭の体操などは,すっとんでしまった。