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正常な地球存続のために

1 天候不順が常態化しているのは、地球環境の変質と流動化による物理的・気象的な象徴であり、その心的な具現化である。我々は最早後戻り出来ないところにまで病膏肓に入っているのかも知れない。その原因はあげて人間の形而下的欲望と利己性にある。 南太平洋の島々の住人にせよ、北極圏の人々にせよ、また極地の白熊やら動物、植生に至るまで、人間は地球上のありとあらゆる生存や生態を脅かしている。   2 何 […]

加齢によって見える政治的風景について

1 齢を重ねるということは、単に物や事について、経歴を積むというような状態とは随分異なる。齢(年)を重ねる主体が物ではなく、動物でもなく、人間だからである。 要するに、経歴を積む主体が、外部環境を自らの内に取り込んで、それによって自らを変容させていくことのできる動的存在だからである。 少々飛躍する論理だが、人間が「齢を取る」ということは、同時に「反省」という心的現象をも内包する。 そう考えると、自 […]

空飛ぶ円盤?の報告

1 8月の大雪山旭岳山頂直下での右足指骨折以来、一時車椅子や松葉杖やらにお世話になる(格好悪いのですぐ止めた)などと、いろいろあったが、未だ若干ビッコをひいている(数年前中央アルプスで右膝を痛めて以来同じ右足なので多少不便をしている)。医者は年内いっぱい位は覚悟せよとのことだが、やなこった(それでも歳を考えろ、とのことらしい)。ただ、身体障害者の不便や苦労は実感した。 事故のことはあまり思い出した […]

ロシアの動向と中国について

1 ウクライナ紛争(というよりロシアによるウクライナ「侵略」)に関するプーチンの罪科については、その行為があまりに直接的、主導的であって、今更調査、検討など不要であろうが、米欧各国の対応については、少々苦言を呈しておきたい。 一言で云えば、米欧各国はロシアないしプーチンに対しあまりに及び腰なのだ。多分にロシアと国境を接する欧州各国でさえ、元ロシア圏の国のNATOへの加盟ないし加盟可能性の現実性によ […]

政治的判断といわれるもの

1 相変わらず途切れ途切れの発信で恐縮している。 ウクライナでは依然として深刻、不当(法)な戦闘が日々くり広げられている。状況は一進一退といわれればそうかも知れないし、他国のことといわれればそうなのだろうが、軍民を問わず現地の人達のことを思うと何ともやり切れないものがある。 ロシアに対する大規模かつ断乎とした経済制裁を続けられるなら、ある程度の遅速はあっても、解決への見通しが難しいとは考えない。た […]

過剰人口の犯罪性について

1 少々極端なことを書いておく。 日本の人口はもとより、世界的にも人間の数があまりに多すぎるので、これを4〜5世代をかけて、まず5分の1以下、できれば10分の1位まで減少させるべきであろう。殊に、いわゆるグローバルサウスあるいはかつて発展途上国といわれていた国々を中心に実行してゆくしかあるまい。 このまま漫然と人口増を続けていけば、様々の不都合が世界中に蔓延するであろう。極論すれば、人類はその大半 […]

新年雑感

1 膝を痛めて以来1年程静かにしていたが、昨秋以降少しずつ近くの低山を歩けるようになり、ある程度の充足感を回復し出した。性格的に、街中より山の中を歩く方が楽しい。 コロナについては、そのうち弱毒化して収束していくだろうなと予測している。ウイルスにとっても弱毒化が原理的な生き残り策であり、発生史的にも「宿主」(人間)の側からする歴史的な落ち着き方だからである。あまり心配していない。   2 […]

安易な同調と危険な社会

1 ファッションに対する関心がない訳ではない。ファッションは本質的には自己表現あるいは自己表出であるので、時代により国により、時により場合により、人の数だけ様々であって当然である。 ところが、日本(人)の場合(別に国外の事情がわかるという程ではないが)、何故か妙に似通っている。稀に個性的な人を見かけるが、至って稀である。本当に時々であるが、失礼を省みず見惚れる。服の形だったり、色使いの妙だったり、 […]

ロシアのウクライナ侵略と政治の原則

1 あまりテレビは見ない方(どちらかというとラジオ派)だが、この土曜にたまたまNHKのEテレをつけたところ、途中だったがアメリカと中国の高校生同士がいわゆる民主主義について討論していた。あまりに稚拙な論争に間もなくテレビを切ったが、参加者が悪いというより、アメリカ人(?)の司会者が全くナンセンスだった。要するに、その司会者は民主主義をその本質で議論させようとするのではなく、現象的、制度的にとり上げ […]

ロシアのウクライナ侵略をみて

1 最近は何かと行動するのが面倒くさいと思うようになった。年とった証拠か、それとも達観の境地を得たからなのか、などとごまかしている。 ただ、ひとつ心掛けているのは、行動の基準として、そのことが命にかかわることか否か、というのが大事だと思っている。この基準によれば、私事の殆どはどうでもよいことになる。国(公)事に関してはそうではない。 命にかかわる大事が公のことに関するのであれば、個々人が避けること […]

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