新年雑感
- 2023.01.19
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1 膝を痛めて以来1年程静かにしていたが、昨秋以降少しずつ近くの低山を歩けるようになり、ある程度の充足感を回復し出した。性格的に、街中より山の中を歩く方が楽しい。
コロナについては、そのうち弱毒化して収束していくだろうなと予測している。ウイルスにとっても弱毒化が原理的な生き残り策であり、発生史的にも「宿主」(人間)の側からする歴史的な落ち着き方だからである。あまり心配していない。
2 ウクライナ戦争についても、既に一年近くとなり、早晩、終息するだろう。ウクライナ側の損害は甚大であるが、それ以上にロシア側(アゼルバイジャンは参戦しなかったが)にはイデオロギー的にも国力(生産力)的にも深刻な打撃となっているであろう。この汚い戦争(綺麗な戦争などないが)がプーチンに与えた負荷は大きい。戦争の終結が、思想からにせよ生産力不足からにせよ、ロシア側の内的要因が強ければ強い程、ロシア側の受けるマイナスは大きい。殊に、思想的清算と生産力の維持・回復について、ロシアは相当の努力と時間を必要とすることになろう。足の回復どころか、頭の回復が前提となるからである。ロシア国民の民度が問われているといってもよい。やがてプーチンは失脚せざる得なくなる(それが選挙に間に合うかどうかは知らないが)。それが実現するまではロシアに対する経済制裁をゆるめてはならない。
戦後復興についていえば、損害の甚大さに比し、ウクライナの方が明るい。ロシアは物理的な回復以前に、イデオロギーや社会的、国際的信用の修復が先である。現象的には「和平」という「平等」な形をとろうとも、原理的、思想的、政治的敗北の上に立った復興を担わなければならないからである。ロシア国民はプーチンの復権を決して許してはならない。
3 国際的には、まず国連の常任理事国制を解体する外ない。中国も同罪だからである。それができないなら、各国は国連を脱退するべきであろう。
習近平の中国は、プーチンのロシア以上に、悪質、狡猾である。我々が中国に対して長い間抱いていた歴史的な尊敬の念や親近感は、習の台頭によって、消し飛んでしまった。
現在の中国が、日本や台湾に限らず世界規模で、日常的かつ高度に民心に対するイデオロギー操(工)作を行っていることをまず指摘しておかなければならない。中国の行動は、単なる民情偵察とか情報収集といった単純で生やさしいものではなく、巧妙、陰険、隠微な思想操作であり、いわゆるフェイクニュースを積極的に(自らこれを捏造して)自国のみならず各国民に注入、脚色して実行している。決して中国が前面に出て音頭をとるのではなく、あくまで、例えば日本市民の声として発言させる。もっとも、三国志を読むまでもなく、こうした方法は中国のお家芸か(日本人にはなかなか真似できない)。
中国が恐いのは、単なるデマゴーグではなく、それを実現できる物理力をもっているからである。そして、何よりもその情報収集と操作力が、戦術的に至って高度だということである。習近平が実権を握っていく政治的過程を眺めてみれば、よくわかるのではないかと思う。その点プーチンの方がより簡明であろう。だから、習は正面からはプーチンのウクライナ侵略を支持しない。しかしその侵略を下支えして、プーチンのお手並を拝見している。アフリカやアジアの一部諸国がロシア弾劾を支持しないのには、中国の影響力が大きいであろう。
4 さてそこで、日本のと(れ)る対応である。まず日本人も賢くならなければいけなかろう。何よりも思想的原理原則を明確にして、中国々民やロシア国民に、草の根から働きかけるしかない。幸いそのツールや方法は色々ある。その上で、国民間の信頼関係を、歴史的、社会的実態を踏まえ、構築していく。例えば、各人に興味のあるツールを介してでもよく、好みの音楽やスポーツを介してでもよい。物々交換ではないが、個人的な品物の売り買いでもいい(これは案外ハマりそう)。
最少限の言語的障害は翻訳機でクリアするとしても、やはりその為にはある程度以上の時間を割かなければならない。何ともしんどいことだ。それでも、小売業でも始めるつもりでやってみるか。
5 次に人口問題について付言しておきたい。
地球の人口は多すぎる。このまま漫然と「少子化対策」(但し、子供に対する公的支援とは別問題)として、政府が生めや増やせよの政策を続けると、やがて地球(少なくとも日本)の資源は早晩涸渇して、その乗員たる人間全てに相応の衣食住を保証できなくなるであろう。
恐らく、全世界規模で見ようが、国内規模で見ようが、時期の遅速はあっても、やがて人間は自然を食いつぶしてしまうのではないか。その時、自然は最早自力回復できなくなる恐れが強い。
我々はこの冷厳な事実について、1日も早く自覚すべきなのである。人間がこの地球上に誕生し、集団生活(社会)を営むようになって以来、大筋において人間は環境破壊をくり返してきた。戦争はその最たるものである。
増税云々の問題ではなく、各国は消費税同様、一般的に環境税を設定して、その税金を目的税として地球環境の維持、改善に使うべきなのである。
地球環境の破壊は、最早後戻りできない程に進行してしまっている。
6 地球環境の維持、改善のためには、我々は一定程度、便利さや快適さを捨てる外ない。
冷暖房然り、飽食然り、スピード然り等々、あればあった方が快適かどうかではなく、普通の生活における衣食住にとって必要かどうかを、まず判断基準の中心に据えるべきなのであろう。極論すれば、もし私達が子や孫の生存を望むなら、その様な判断基準を持つべきなのである。
ちなみに、私の場合、殆んど全室の冷暖房は使わず、自分のいる部屋だけに弱い冷暖房をかけるだけである。寒ければ1枚余計にチョッキかカーディガンでも着用するか、暑ければ上半身下着一枚になれば、屋内では普通に生活できている。もっとも、暑い時は扇風機(冷風扇)を主として使っている。自分では耐久生活をしているとは、全く思っていない。
7 そこで少子化の先の問題であるが、恐らく自分が老年になった時の社会保障についての不安であろうか。この問題の解決は、まず技術やシステムによる改善(良)によってある程度カバーするしかないように思う。但し、生産性第一主義や合理性優先主義に陥ってはならない。それでは元も子もなくなる。
要するに幸福は物質(金)では買えない、という至って原則的な真理を自覚するだけのことであるが、聖人君子ではない人にとっては、これがなかなか難しい。多分、その先は勉強や修業の問題なのだろう。同時に、私達は政治に対し物言わなければならない。その様にして、少しずつ「進歩」をモノにしていくしかないのだろう。
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