政治における倫理性について

1 毎年3月10日がきて、4月28日、5月15日、6月23日が来る毎に、当時のアメリカという国の残虐性と日本という国の身勝手さ、というより戦争の愚かさに思いを新たにする。

アメリカ軍の空襲は、ナチスのガス室による民族抹殺行為と遜色ない戦争犯罪である。原爆投下に対しなぜ日本は満腔の怒りをもって抗議し続けないのか。東京大空襲にしても、何故その犯罪性を世界に発進し続けて、アメリカの謝罪と反省を求めようとしないのか。そして日本は沖縄を切り捨てた。

2 母は私を背負ったまま、下館という茨城の疎開先の田舎から、一晩中真赤に炎上する東京の街をまんじりともせず立ち尽し見続けて夜を明かしたという。アメリカ軍による空襲は、日本の建物の大半が木造であることから、まず周辺を爆撃し炎上させて市民の逃走路を絶ってから、中心に向かって焼夷弾(ナパーム弾)を落としていったと聞く。特定の軍事施設を攻撃するのではなく、人為的に特定の地域に生息する人間も皆殺しにするために空襲したといわれても、アメリカは弁明も反論もできないであろう。

3 昭和20年ともなると、日本には飛行機も艦艇も、石油も弾薬も殆どなく、食料さえも払底していたことは、アメリカは知悉していた。アメリカ軍は、日本海軍による真珠湾攻撃を予め情報として摑みながら、これを自国に警告せず、日本軍の先制攻撃を容認し、その後の情報戦でも山本五十六機の航路を解析していたように、日本軍の暗号の多くを解読していた。当時の日本の戦力が最早組織的抵抗力を失っていたことについては、アメリカ軍は重々承知していたことであった。そのような客観的情況の中で、アメリカ軍は日本全国の主要都市を次々と空襲していった。そして原爆を使用した。非戦闘員の死亡は、歴史上かつてない程の人数となった。

4 沖縄戦とその後の占領、敗戦及び沖縄返還の過程は、満州移住・帰還と同様、国家による棄民政策であった。沖縄と満州との違いは、沖縄の棄民政策には、まさに歴史的な民族差別が根底にあったということである。沖縄の人達の気持ちに思いを致すとき、慙愧の念に堪えない。

昭和20年6月23日、日米の沖縄戦は終り、昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効で沖縄は日本に捨てられ、昭和47年5月15日の「沖縄返還」で重ねて沖縄は日本から捨てられたのである。

5 こうなると沖縄独立も理念上視野に入ってくる。独立派が沖縄では少数派だというのは、独立についての沖縄の経済的不利益の深刻さと、政治的な困難性ないし現実的不可能性を慮ってのことかと思われる。しかし、少なくともこの数百年間薩摩藩や日本は沖縄を搾取し、一方的に沖縄に犠牲を強いてきたのであるから、朝鮮や中国と同様、日本国はその償いをする義務がある。それが理念的・倫理的原理であり、法的、経済的、政治的原則であろう。沖縄の人達が遠慮する必要はどこにもない。日本が戦犯国アメリカに遠慮する必要がないのと同断である。