はじめての選挙
- 2016.07.12
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1 いつも思い出したように書いてみる。
多分、このブログも1〜2年ぶりか。この間、私的にも公的にも随分いろいろのことがあった。
原発再稼働についても、政治の欺瞞性などといってしまえばそれまでだが、あきれてものも言えない。
2 さて、此の度18歳から選挙権が与えられたとの由。それで、私も今回初めて選挙権を行使してみた。全く簡単なものだ。
しかし、18歳から選挙権がある、という現行政治制度にはどうも馴染めない。昔は15歳にもなれば(数え年なので今の13、14歳)立派に1人前の大人で、家督も継げば、切腹(の作法)も1通りできる年である。
現在の18歳はどうだろう。大半は子供のように見える。将来の年金負担者は自分達だからなどという議論もあるようだが、年代別独立会計にでもすれば、それ程の不公平にもならないような気もするし、そもそも選挙権の問題と年金問題とは本質を異にする。
3 子供に大人のおもちゃを与えてどうする、という感がどうしても拭えない。現代の大学生で卒業する頃にはもう大人になった、という学生さんらが一体どの位いるのだろうか。大人の知識の有無ではなく、大人の知恵(まともな意味で)を身につけて学校を卒業するのは、現在の学校制度の下では難しそうだ。いってみれば未熟者の素人にさあ射ってみろ、とピストルを与えるようなものかも知れない。況んや18歳(入学の頃)の生徒、学生らにおいておやである。
とすれば、技術(哲学に裏付けられた)や知恵は、学校ではなく自分達で身につけるしかなさそうだ。
4 前にも触れたが、民主主義という制度はいろいろと考えなければならない問題が山積している。哲学や政治原理としてもさることながら、「制度」としての検討課題が山ほどある。
世のマスコミは18歳選挙権制度をこぞって好意的に囃し立てているが、無責任であろう。かりに投票率下落の歯止め策(50%を割った投票率による選挙には、最早民主主義の原理的正当性は担保されない。だからこそ今まで積極的棄権行動をとってきた)というなら、それはお粗末にすぎる。考えなしの付和雷同組を増やすだけだし、まさに政治のポピュリズムを進(深)化させるだけだろう。もっとも、では20歳になったら大人か、といえば上記の通りこれまたお寒い限りだが。
結局、大人になるには、いくつになっても勉強するしかない。18歳からの2年間は、年若いだけに勉強の効果は大きい。正義感も一応残っている頃だし、殊に記憶力に強く、吸収力も大きいし、可塑性があり、何よりも感受性に富んでいる。勉強には最適のお年頃である。この頃読んだ本での「追体験」は一生忘れない。
5 別に20歳選挙権制度がよいとも思わないが、18歳制度よりはまだマシであろう。
ごく個人的な感覚としていえば、選挙権は働くようになったら年齢にかかわらず、また稼働の有無にかかわらず22歳〜23歳位になったら付与したらどうかと思っている。一定の社会経験を積むことが、まともな知恵を身につける出発となる可能性も高いだろうし、さりとていい年(22〜23歳)して判断無能力もなかろうという、希望的観測の結果の結論である。