原子力発電所というモンスター設備については、その装置の巨大性、複雑性等から、設計上、施工上、操作上も人為的ミスを免れ難いとの指摘は、フクシマ事故以来誰しも抱く不安を言い当てている。かつての少数説が多数の人達に(日本でもやっと)認知され出したというところだろうか。

原発問題に対する切口はいろいろあるが、放射性廃棄物の処理の問題(地中深くに10万年位埋めておくとか。ちなみに現人類が誕生して未だ3~4万年)とその安全性、事故発生の可能性の問題とは、もっと慎重に論じられなければならない。一たん事故の起った後の被害の重大性は、質的にも量的にも、原発以外の人為的事故とは全く様相を異にするからである。

日本では、今までこの様な大事な問題の真面目な検証が敢て軽視されてきた。専門家といわれる多数派の学者、技術者の間でも、マスコミの間でも、司法手続きの中でも。原子力大国といわれる国々の中では、日本に際立つ傾向ではないかと思われる。

 

原子力大国アメリカの場合は、行政委員会としてその独立性が高いといわれる(実際は必ずしも建前通りではないようである)原子力規制委員会(NRC)の厳しい規制もあってか、既に、1979年に発生したスリーマイル島事故以前の1974年以降、原発の新規発注は1件も陽の目を見ず、電力会社側も申請を取下げるなど、新設計画を断念しているとのことである。これは、原発の安全性に対する危惧というより、その経済採算性が合わないという理由かららしい。いかにもアメリカらしい。但し、事故の確率が高まれば、当然行政側の規制も厳しくなり、設置や維持のコストも重み、経済採算性も落る。

アメリカのスリーマイル島事故以前からアメリカでは原発離れが進んでいたということになるが、その関連として、1972年に原発プラントメーカーのGEの技術者によって、フクシマ事故と同型の軽水炉の設計に瑕疵(冷却水喪失時の格納容器の脆弱性)があると指摘され、結局その安全性に責任をもてないとして3人の技術者が辞職し、そのことが1976年の議会での証言にも至り、アメリカでは大問題になったことがあった。日本でも当時「朝日ジャーナル」などに取上げられている。

 

イギリスでは、公的な発表とは裏腹に、1995年以降原発の新規発注はなく、2005年には原子力廃止措置機関(NDA)を設立し、廃炉計画を具体化しつつある。

一方、イギリス政府が見放したウエスチング・ハウス(WH)の原子力部門を予想の倍額(といわれる程の高額)で東芝が買収した。なお、GEの原子力部門は日立が傘下に置いた。

フクシマ事故以降、イスラエルはいち早く原発計画(民生用原子力開発)の中止撤退を宣言している。テロによる原発事故のリスクを懸念してのことであろう。イタリア(原発凍結可否の国民投票まで実施している)やスイスも脱原発を明言している。中国を含むいわゆる発展途上国は原発建設に熱心であるが、その中でタイは原発建設計画の見直しを言っている。

日本一国内の原子力行政と世界の一般的趨勢とは随分様相を異にしているが、日本株式会社としては、どこまで将来を見切っているのであろうか。

 

面白いのはドイツであるが、1975年のヴィール原発阻止闘争(現に建設は阻止された)後緑の党の結成とその勢力伸長に伴って、殊にチェルノブイリ事故後は、原子力行政は大きく転換され、建設計画の断念や運転中止(建設許可を無効とした高裁判決では、日本程地震が多いとは思わないが、まさに地震の危険性を指摘している)が相継いだ。その後2000年に、政府と主要電力会社との間で、原発運転開始後原則32年(2021年頃で原発の全廃)をもって廃炉とする妥協的な協定が成立した。しかし、社会民主党のシュレーダー政権(緑の党との連立)の後の2005年以降、キリスト教民主同盟と自由民主党との連立政権において、キリスト教民主同盟のメンケル首相は運転期間の延長を更に8年から14年間認めることとした。ところが、フクシマ事故の発生をみて、メルケル首相は脱原発に舵を切直したのである。ドイツ政府は、フクシマ事故直後には老朽化した原子炉の運転停止を命ずるとともに、その政策変更の中で、原発の倫理性という問題を問いかけた。その諮問を受けた「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の委員には、原子力研究者は一人もおらず、また、メルケル首相はもともと物理学者だったそうである。その諮問を受けて、ドイツでは2022年までの原発閉鎖が決定された。

 

ところで、日本の民主党は、この1月25日、運転期間を「原則40年」に制限する原子炉等規制法改正案を決定した。但し、基準を満たした場合は、20年以内の運転延長もあるとする。この但書は相当曲者で、将来おおいに問題となるかも知れない。ちなみに、日本には1995年以降に限っても運転開始の原子炉は8基あり、40年を超えるものは2基ある。現在建築中の原子炉は2基である。

さて、アレバ社のあるフランスを別とすれば、欧米の原子力大国の場合、原発を維持するか否かの判断要素にはその経済性の有無が大きく取り上げられている。殊に、電力の自由化(発売電の自由競争)を前提とするアメリカでは、顕著である。要するに、間接的な費用を含め全ての経費を検討すると、原子力発電は高くつくということである。当然、経済性は原発の安全性や放射性廃棄物の処理と一体的に判断されるからである。原子力発電の技術は、未だそれ自体不完全であって、瑕疵を内包していると考える外ない。

 

日本では、1974年以降、「電源開発促進税」なる特別税があって、ユーザーは現在1000kwにつき375円(一般家庭で年間1000~1500円位)を負担している。税金使途は、建前としては電源開発一般が対象となるが、主に原発用の財源である。少なくとも3000億円以上の税収がある(2002年で約3768億円)。日本の原発が経済採算制を度外視して建設できる所以のひとつである。

日本でも原発の是非を論ずる場合、経済的視点を軽視するわけにはいかない。もちろん、経済性の視点は、ひとつの方便的なものにすぎないことも、充分自覚したうえでの議論でなければならないのは当然である。

私達は将来のエネルギー政策を見据えるとともに、子孫やこの地球に対し一定の責任をもちたいと思う。