「規範もどき」とバッシング

昨今、企業や個人の言動に対して「非常識だ」「不適切だ」との批判が巻き起こるという事例は、枚挙にいとまがありません。少々攻め気味のCM表現がSNSで大炎上し、あっという間に中止に追い込まれるという事例などは、毎年の恒例行事のようにすらなっています(この企業対応の誤りについても、後日書きたいと思います。)。

この点、単に個人的信念に反するというだけでは、世間を挙げてのバッシングにまで発展することはありません。そこまでになるのは、対象となる言動につき、多くの人が、“社会規範(※)に違反している”と感じる状態になるからであると考えられます。集団を形成することによって進化してきた人間の脳には、そのような“社会規範違反”に直ちに反応する機能が予め備わっているようです。

※社会規範:社会や集団内で共有され、同調が求められる規範のこと。

そうであるならば、この種のバッシングを鎮める有効な手段は、「規範には違反していませんよ」ということを世間に伝えることのように思われます。しかし、弁護士としてこういった事態に対処する中で痛感させられるのは、「法律上は問題ない」という説明が全く通用しないという現実です。むしろ、火に油を注ぐ結果となることの方が多く、その場合、規範違反性を否定して怒りを鎮めようとした試みが、全く逆効果になってしまうことになります。これはなかなか興味深い現象でして、本来、規範違反=不適切であり、そうであるからこそ怒りを覚えているはずなのに、法律的に問題ないこと(つまり客観的には規範違反ではないこと)が示されても、怒りを収めるどころかむしろ増幅させるという一見矛盾した反応が示されることになるわけです。

この現象から分かるのは、人が、「法規範」とは無関係に「道義的規範」というべきものを内在化させており、しかも、前者と後者が衝突した場合には曖昧模糊とした道義的規範の方が優位に立つ、という心理傾向です。この心理傾向は、10年程前にハイトという心理学者が提唱した「社会的直感理論」(この理論は社会心理学界隈で一大ムーブメントを生んでいます。)にも通じるように思います。すなわち、当該理論においては、人が道徳判断をする際、まずは“直感システム”が素早く始動して対象事象の善悪を判断し、それによって自動的に怒りや嫌悪感等の情動が生じ、その後に“推論システム”が理由を考える、という心的過程が想定されているのですが、これを今回の話にあてはめますと、直感に働きかけて怒りという情動を生じさせるのは「道義的規範」の方であり、「法規範」は国家等から押しつけられた借り物の理屈や基準に過ぎない(”推論システム”でやっと登場する程度のものである。)ということになるのかもしれません。

そして、SNS全盛の昨今においては、一般的には規範と呼べるほど成熟していない「規範もどき」(※私の造語です)にまで激しい反応が生じるという現象が生じており、企業や著名人たちからすれば、客観的に存在しているわけではないので予測が極めて難しく、期せずして地雷を踏んでしまうという事態に陥っています。言うなれば、「規範もどき」によって巷の人々の脳が常に臨戦態勢に置かれている状況にあるわけですが、注目度の高い企業(特にテレビ業界)、学校関係、著名人などにとっては本当に難しい時代に入ってしまいました。

 

SNSにおいて「規範もどき」が発生するメカニズム等については、改めて考察してみたいと思います。