「専門家意見」の欺瞞性について

1 ここ数年、大切な人が次々と亡くなり、気塞ぐところもあったが、滝に入ってみたり山を歩いてみたり、何よりも仕事に追われたりで日々それなりに過ごしてきた。この間日本も世界も小止みなく変化し続けている。それに対し何も動かない自分に焦りとも無力感ともあきらめともつかない思いも続いた。

それはともかくとして、また独り言を書いてみることにした。

 

2 原発の存在と規制については、変化もあったが安倍政権と東電(及びそれらの取巻きマスコミや沈黙の科学者?)のタッグが上手に切り抜けているようだ。裁判所の「良識」に期待するところもあったが、何となく元の木阿弥感が強い。東海原発あたりはその最たるものである。

そうした中で到底許し難い小さな報道があった。九州電力が10月13日、14日と連日にわたって九州域内の太陽光発電の「出力(送電)制御」を行った。専門的判断として、需要が供給を上回るといわゆるブラックアウトなる大規模停電が発生しそうだからその予防が必要、ということらしい。

ちょっと待ってくれ。ブラックアウトのメカニズムとその予防システムについては(よくわからないので)ともかく、何故まず火力発電から出力を制御しないのか。そして、それよりも何よりも、何故九電は原発再稼働に血道を上げるのか。たまたま猛暑の夏が終って冷房需要が一段落し、何日かの晴天日があったから何だというのか。今後一層太陽光発電をはじめ自然エネルギー利用の電力供給が増加し続けるのは確実と思われるが、そうとすれば原発の必要性はますますその根拠を失うのに。

 

3 ところで、確か今年の1月の新聞報道で、「放射線影響安全性評価検討ワーキンググループ」なる専門家や所轄関係部署担当者らによる非公開会合の議事録について、「これを全部開示する」としながら、その専門家や官公部署に都合の悪い議事録部分を削除、変更していた、との毎日新聞の記事(多分スクープか)があった。国有地の売却にしても加計学園問題にしても、官公庁に不都合な会議録や議事録部分の削除・訂正などは、国などを含め、作成者の常套手段のようだ。

 

4 さて、内容的なことから言えば、問題の専門家等の会合が、「放射性セシウム(100ベクレルを超えて)8000ベクレル以下の汚染土の再利用(道路の盛り土や防潮堤用)を可能にする道筋をつけた」ということになるらしい。

ベクレルとかシートベルトといわれてもよく分からないのではあるが、うろ覚えながら、かつてどの程度の放射線量までなら人体に安全かという議論がなされ、いつの間にか8000ベクレルという数字が一人歩きをしだしたという記憶がある。その辺は措くとして、「特別な処理の必要がない廃棄物」でしかなかった汚染土が、8000ベクレル以下なら「再利用」できるとなってしまった。これで本当に大丈夫かとの疑念ばかり大きくなる。原子炉等規制法上は原発解体に伴う金属等の再利用基準として100ベクレル以下としている。問題の会合でも、いくら盛り土をコンクリートで覆うからといっても、その防潮堤が災害でくずれ復旧工事をする場合はどうなのか、ということも論じられたようだからである。専門家らは「崩れれば他の土と混ざり合って希釈される」と述べたようだが、その説明が一定の前提条件を満たさない限り、因果関係の怪しい乱暴な推論でしかないことは明らかであろう。

そういえば、最近のことだが、トリチウムによる汚染水を海に放流するとの議論でも同じような弁明をしていた専門家がいた。即ち海水に放流するから毒性が希釈されるので安全だと主張する。

 

5 しかしここではまず手続的な問題が論じられなければならない。この問題には、不適正な手続による様々な病弊が宿っているからである。専門家とは何か、ということはともかく、いわゆる「専門家」の会議の「専門家」はどの様な手続で選任されるのかということである。

複雑化した社会では、殊に政治的決定について専門家の知見を聴いておくことは行為者の意思決定にとって大変重要な政治(意思決定)システムである。但し、公的な政治決定においては、よくマスコミが行うように、単に関係分野の専門家といわれる学者の賛否両論を集めるというようなことではない。

公的な機関としての専門家の会合等であれば、何の為の専門家の意見かを見定めて、その専門家意見如何によって経済的または政治的に有利、有益となると推定される会社や団体から直接、間接を問わず、私的に金銭的、業務的あるいは身分的な利得を得ている専門家を、原則としてその選任対象からはずすべきなのである。一般的にいえば、どうみても官公庁の判断に都合のよい意見を表明する専門家ばかり選任され、相当規模の大きな会議等でも主催する官公庁の意向に反する専門家は、申し訳程度にアリバイ的に選任されているように思われる。

殊に科学的分野の専門家は、当該分野の団体、最終的には大規模な会議であれば日本学術会議等多くの人がその公平性を承認する全国的組織かその下部組織にその推薦権(実質決定権)を一任すべきなのである。

 

6 話を戻そう。九電による太陽光発電の出力停止の問題にしても、東電によるトリチウム汚染水の海洋投棄の問題にしても、これは単に私企業が専ら経営的あるいは経理的視点から、純然たる私企業の判断ないし意見を述べただけのことにすぎないと、問題を近視眼的・短絡的に捉えるのは誤りであり危険だということである。九電や東電が単なる私的な企業でないことは、いちいち解説するまでもないが、それら電力会社の意思決定なり判断なりには、それらの「私企業」の利益代弁者としてのいわゆる「専門家」の意見なり判断、あるいは弁解の理屈付けがついて回っていることを見落としてはならない。

従って、少なくとも一定の公共性のある私企業に依頼されて意見なり判断を述べる専門家は自ら当該企業なり団体から何らの私的利得を受けていない旨を明示するとともに、当該私企業の側も「専門家」意見を求める者の選定については、前記公的機関の専門家会議等に選任する場合と同様に、一定の適正手続の中で意見具申を行いうる適格性を事前に議論及び公表すべきなのである。専門知識に乏しい一般人であっても、専門家として選定された手続過程の適正性については、充分理解可能だし、判断可能であろう。多くの場合、「専門家の意見」なるものは、世論操作の道具として利用されていることを忘れてはなるまい。

時間の関係で触れられなかったが、適正手続の問題については、その担保としての公文書(及びこれに準ずる関連文書)管理の問題がある。その辺はまたの機会にしよう。