2012年雑感

年末で慌しく時間に追われる日々を惰性でやりくりしている感もないではないが、前回から随分期間も空いたので、簡単に現在の所感を総括しておこう。

 

1 まず、知識(人)と責任ということ。恐ろしいことではあるが、知識を得るということは、それだけ自己及び他者に対する責任が加重されるということである。竹林の七賢人は堕落でしかない。油断すれば、老荘も然りであろう(個人的には魅かれる思想だが)。

イタリアで、2009年のイタリア中部大地震直前の安全宣言に関与した地震学者ら7人に禁錮6年の有罪判決が下されたとのことである。世論の動向もその後の対応や評価も知らないが、どうも関係学界では世界的に相当不評らしい。具体的経緯がわからないので何とも言えないが、原則的に考えれば、それ程失当な判断とはいえないようにも思える。

自然科学であれ社会科学であれ、予知や推論の不確実性に対し、専門家や技術者は真摯であってほしい。それが知識人の責任である。況んや、原発村のスポークスマンでしかなかった科学者は、未必的故意の犯罪者もいたのではなかったか、とさえ疑われる程である。

マスコミもまた、専門家責任という意味で同様である。

 

2 少なくとも既存の原発は、技術的には未完成の失敗作であり(但し軍事的には多量のプルトニウムを手に入れたが)、経済的には完全に破綻した発電方法である。コストから言えば、太陽光発電1kwの売電価格が42円(近く多少下がるが)などという比ではないし、その実質的発電効率は低い。しかし、何よりその安全性(廃棄物処理も含めて)の脆弱さには、あきれる程である。

別に吉本教の信者ではないけれど、もともと技術出身の思想家であった彼は、3.11の後も原発必要論者であった。思想家としての過去の自己の言説に対する首尾一貫性ということよりも、吉本隆明は、技術的に既存の原発とは異質の原発を想定していたのであろうか。

 

3 多少原発について勉強しているうちに、4S炉は措くとして、燃料にウラン235の固体燃料を使わず、燃料をウランからトリウムに代え、かつ固体から液体の熔融塩とする原子炉があることを知った。炉の構造もシンプルで、小型を前提とする。ウランとは異なり、トリウムは偏在せず世界中にあり、埋蔵量も充分にある。炉はほぼ核燃料自給自足型で、制御棒もあまり必要ない。全電源を喪失しても、「崩壊熱の暴走」はなく、「核分裂連鎖反応を止め、核燃料の崩壊熱を冷まし、放射性物質を閉じ込める」という。

プルトニウムは殆ど生まれないし、(従って軍事的には殆ど価値がない)、若干のプルトニウムも炉内で有効に燃やせるのだそうだ。核分裂反応生成物質の除去も容易という。熔融塩は、物理化学的特性が予測可能であり、また、高温でも常圧で使用できるので、炉も常圧装置として組み立てることができる。要するに諸々と安全というのである。ただ、小量とはいえ核廃棄物は発生する。もっとも、燃料塩内を循環しているうちに次第に消滅させたり、科学処理して高速の中性子により消滅を図るという。よくわからないが、核廃棄物の完全解決についてはどうだろうか。

熔融塩炉については、既にアメリカのオークリッジ国立研究所で小額の資金と人数でもって1960年から本格的な実験炉建設が進められ、26000時間の継続運転で事故なく全実験を終了したが、冷戦時代の中で無視されてきた。しかし、日本ではその後実験炉ミニFUJIを経て、トリウム熔融塩炉FUJI-Ⅱへと建設計画が立てられているとのことである。日本、チェコ、アメリカなどを中心に、世界各国による国際協力が約束されているという。

 

4 一方で、石油をはじめ化石燃料の採掘可能な埋蔵量の数値は次々と更新されてきており、今後数百年は資源供給上の問題はないとされる。殊に、シェールガスの存在が大きいようだ。このことは、単に自然エネルギーによる効率的な発電技術の確立と普及には充分な時間的猶予があるということを意味するに止まらない。火力発電技術の革新は目覚しく、現在は天然ガスを燃料とするガスタービン発電と蒸気タービン発電の組合せによる(ガス・コンバインサイクル)高効率、高出力の火力発電が既に普及し出していて、電力会社以外の発電事業者などのいわゆる自家発電が、3.11後急激に増加した結果、原発ゼロでの安定的電力供給が持続可能となっているという。しかも、天然ガスの特質は全くクリーンでかつエネルギー密度が高いということである。

いずれにせよ、既存の原発は、技術的にも、経済的にも最早や過去の遺物と化しているといってよさそうである。

 

5 今回の衆議院選挙の有り様を踏まえ、フランスの思想家ジャック・アタリが、何故日本の政党の中で、人口増なり人口減を政策目標としてかかげる政党がなかったのかと述べているそうである。ここでの人口増は、積極的な移民受け入れ政策である。私としては、最終的には適切な人口減が課題と考えている。

その過程では、移民受け入れも含め、様々な政策的バリュエイションはあると思うが、結局、エネルギー問題は地球規模での適正な人口によって解決するのが、最も自然である。それが、地球上の全生命体や自然を含む他者に対する人間の責任であろう。人間は、地球上最も高度な知識と知恵を得ることとなった唯一の生命体だからである。

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